2012年10月24日08:44:37
おはようございます。
今朝は一段と冷え込んだそうですね。
雨が降るたびに寒くなっていくようです。
金木犀の花も昨日の雨でほぼ落ちてしまって
いました。どんどん季節は進むのですね。
さて、いろんなところで頑張ることが求められています。
小さな子供はお母さんの期待に応えいい子でいたり
成績が良かったり。学生になっても然り。
社会人になると企業が求める人材になることが
求められ、社会人としての責任が求められます。
頑張ることは私は必要だと思っています。
頑張らなくていいというのは、
人から言われることではないとも私は思っています。
でも、今の「頑張れ」は少し違っているのかなと感じています。
何が違っているのかというと、「周りの人と同じように頑張れ」
「同じような結果を出せ」ということではないのではないかな、
ということです。
人間千差万別です。
対して努力をしたように見えなくてもある程度ことは
さらっと成し遂げてしまう人から、ほんの小さなことも
一生懸命努力をしないと難しい人までいると思います。
最終的にはそれぞれの力量に応じて、結果が自然と
出ているように思いますが、そこに至るまでには
自分が持っている以上の努力をし続けて、
周りと同等あるいはそれ以上のところに行くための努力を
皆がし続けているように感じます。
周りも勿論期待していると思います。
でもそれ以上に、本人が頑張りたくて、自分の理想に近づきたくて
理想と現実のギャップに悩み、そのギャップを受け入れられなくて、
残念ながら空回りの努力を続けている現実があると思います。
自分の弱さを受け入れる、自分の出来なさ加減を受け入れるのは
並大抵のことではないと思います。
でも、それができないと、体調を崩したり、周りとの軋轢を生んだり、
きちんと受け入れることができて、受け入れたところで
何ができるかを考えられたら、こんな結果にならなかっただろうと
思うようなことになっているということが、あります。
期待をかけられ、その期待に応えたい自分がいる。
でも、そうはなれない自分もいる現実。
そことどう向き合い、どう折り合いをつけ、誰のせいでもなく、
「自分」として生きていくのかが、問われていると思います。
頑張ればできる、確かにそういう一面もあるかもしれませんが、
頑張ればできる神話に乗っかってひたすら我慢し続ける努力ではなく
自分を見つめる努力が必要なのだと、私は感じています。
そんなこと、皆さんは感じたりしませんか?
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